ふり返れば、しんどいことの連続だった私の人生。
どん底を味わった私が、もう一度前を向くまでに乗り越えてきたことを、ここに記録したいと思います。
子どもの病気、元夫の借金、離婚
抱えきれないほどのことが一度にのしかかり、私の心は押しつぶされそうだった。
全てから目を背けたかったし、起きたら夢であってほしい、なんで私なの?
考えても仕方のないことばかり、現実を受け止めるのは本当に苦しかった。
そんな日々を過ごしてきたから、”伝えられることがある”そう思ったのです。
どん底を経験した私が、”今とても幸せ”と言えるようになるまで、よかったら最後まで読んでください。
娘の病気が発覚

私は結婚してから、2人の子どもに恵まれました。
上の娘は生まれてすぐ、両手と片足に6本目の指がある「多指症」という先天異常があることがわかり、1歳という小さいからだで全身麻酔を経験し、手術をして切除しました。
そんな娘が3歳になったとき、体調不良が続き、顔色もどんどん悪くなっていきました。
心配になって検査を受けたところ、『急性リンパ性白血病』だと診断され、すぐ救急車で大きい病院に運ばれ、長い入院生活を余儀なくされたのです。
私は「娘が死んじゃうかもしれない」とパニックになり、そのときはただ泣くことしかできませんでした。
元夫に多額の借金

泣いてばかりのつらい時期をようやく抜けて、やっと少しずつ前を向けるようになり、「これからは娘をたくさん笑顔にしたい」そんな想いで自分を奮い立たせた矢先、当時の夫に多額の借金が発覚‥
え…嘘でしょ…なんで今なの…
娘がまた日常に戻れるように、夫婦で協力していかなきゃいけない、そう思っていたのに。
私は、心から頼れる存在をを失ったような孤独感と、自分だけは娘を支えられる人間でいなきゃいけないというプレッシャーで、いつ心が壊れるかわからない、ギリギリのところで踏ん張っていました。
当時の日常

往復2時間かけて娘の入院している病院へ。
当時はコロナ禍だったため、面会時間も短く、その短い時間を”娘とどうやって楽しく過ごすか”それだけを毎日考えて、おもちゃ屋さんに行っては、娘が好きそうなものを買って病院に向かう、それが日課でした。
帰りは娘が泣いてしまうので、病棟の保育士さんに抱っこしてもらい、後ろを向いてるときにこっそり帰っていたのですが、切なくて帰りの電車で何度泣いたことか…
その日に撮った娘の写真を見返しながら、明日は一緒に何をしようか、また娘の笑顔が見られるように頑張ろう!と、娘の笑顔が当時の私を動かす原動力だったのです。
泣きながらも前に進まなきゃいけない

娘が病気だとわかったとき、今まで経験したことのない苦しさが押し寄せてきました。
それに加えて元夫の借金まで‥
私は地獄を味わっているようで、本当に生きている心地がしなかったんです。
自分の身に起きていることなのに、現実から逃げたくて、どこか他人事のような、自分を遠くから見ているような感覚でした。
”今日1日だけ耐えよう”
たくさん泣いて、たくさん現実逃避して、他のことなんて全く手につかなかったけど、なんとかその日を無事に終わらせることが私を少しずつ強くしていったのかもしれません。
振り返れば笑ってる

娘はたくさんの人に支えてもらったおかげで、今は元気に学校へ通えています。
体調を崩しても、「絶対学校に行く!」と言えるほど、たくましくなりました。
私が今振り返って思うのは、あれだけつらくてしんどい思いをしたはずなのに、以前よりもずっと自分のことを好きになれているってこと。
もちろん決してひとりで頑張れたわけではなく、まわりの人に本当に支えられました。
友達に「沙耶の人生、本書けそうだね!」と笑われることもあるし、私自身も少しのことでは動じなくなった気がします。
そして何より、困ったときにいちばん頼れる存在は自分だと思えるようになったこと。
”自分が最高の相棒”
そう気づかせてくれた大事な出来事だったのかもしれません。
まとめ

まさか自分にこんなことが降りかかってくるなんて思ってもみなかったし、一瞬で見える世界が変わってしまって、どれだけ平凡な日常が幸せだったのか思い知らされました。
だけど、今まで感じたことのないぐちゃぐちゃな気持ちを味わったからこそ、私らしい生き方にたどり着けた気がします。
どこかでこうなることを望んでいたのかもしれません。
赤裸々に書いてしまいましたが、ここでお話しできたことで私自身も肩の力が抜けて、一つの区切りになりました。
こんな私ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
森川沙耶💐